コラム

延命という行為は「死という問題」を先送りにしてるに過ぎない

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先日、NHKのクローズアップ現代+(“最期のとき”を決められない(~延命をめぐる葛藤~)で放送していた「延命」についてのテーマ。

すごく感慨深いものがあった。

 

ぼくが理学療法士で医療従事者ってこともあり、いろいろ考えさせられることがありました。

きっと医療従事者でなければ、ここまで考えさせられなかったと思います。

 

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病院は延命するしかない

延命治療(えんめいちりょう、Life-support treatment)とは、疾病の根治ではなく延命を目的とした治療のことである。 対症療法の1つ。 生命予後不良で根治が見込めない患者に対し、人工呼吸や輸血、輸液などによって延命を図ることを目的とする。

-ウィキペディアより引用

病院勤務していた頃の話だけど、「延命」っと呼ばれる医療行為は頻繁に行われていました。

まぁ、病院だから当たり前なんだけど、大事故を起こして手術をして救命をするとか、そういうのではないです。

いわゆる、寝たきり状態で食事もとれない人たちに対しての経鼻経管栄養胃ろうと言った「延命治療」です。

中には点滴のみで対応している方たちもいます。

 

言葉は悪いが、上記のような状態をどこかの大先生が「水やり栽培」と言っていたな。

延命治療は家族や本人が、延命の中止をしない限り病院側は中止することが出来ないから仕方のないことなんだけど。

 

 

水やり栽培の実態

延命治療

 

経鼻経管栄養や胃ろうといったものが、絶対的に悪ってワケではありません。

延命行為にはなるけど、栄養つけるために一時的に行い、最終的には自分の口から食事が摂れるようにしていくことも可能な治療行為なのです。

 

回復する人はほんの一握りなので、やっぱり最終手段として、選択される医療行為のひとつです。

 

寝たきりで何も話せない状態で、管に繋がられているのを見ると切なくなってしまいます。

 

 

延命治療で命を買うと同時に苦痛も買う

本人が延命を望むなら仕方のないことだけど、基本的に延命というのは、「苦痛の時間」を買っていると思っています。

命を延長させるかわりに代償(苦痛の時間)を受ける。

 

本人が望んでいる場合は、代償ではない気もするけど、望まない延命は代償のなにものでもないと思う。

 

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延命はただたんに「問題」を先送りにしているに過ぎない

特に、家族都合の延命ほどたちの悪いものはないと思う。

ほんとに少しでも長く生きて欲しいって思うのは、当たり前のことだけど、延命だけしてお見舞いにも行かない、放ったらかし状態の家族はほんとに多い。

自分たちだけ一安心したつもりだけど、延命させられている本人は、生き地獄でしかないと思う。

 

意識がないならまだ幸せ。

話すことできず、自分では身動き取れない状態で天井を見続ける状態。

想像しただけでも苦痛。

さらには、褥瘡(床ずれ)なども出来たりすると、その痛みとも戦わないといけない。

 

まさに地獄。

 

ぼくは、絶対に延命治療は望まない。

 

 

さいごに:元気なうちに家族とよく話そう

今だと、ドナーカードみたいに、延命治療の希望の有無を示す「事前指示書」がある。

話し合いが出来ないなら、それに記入するのもいいかもしれないね。

1番いいのは、家族とよく話し合っていることが理想なんだけど。

 

生きて欲しいって自分の気持ちも大事にしたいけど、相手のことも考えてあげれるといいかなって思う。

こればかりは、倫理的な問題もあるから、とやかく言えることではないけど、延命はいいことばかりではないなって感じずにはいられませんでした。

 

延命は、別れるために心の整理のための期間。

 

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